「4月は残酷な月」――辞書の個性

(第69号、通巻89号)
    
    4月は出発の月であると同時に別れの月でもある。私の第二の職場でも、有能で頼りがいのある親しい仲間たちとのつらい別れが相次いだ。「4月は残酷な月である」。惜別のたびに、英国の詩人T.Sエリオットの『荒地』の冒頭の一節が思い出された1カ月だった。

    英国人にとって4月というのはどんなイメージの月なのか。PODの愛称で有名な英語辞書“The Pocket Oxford Dictionary”の第7版(1983年発行)には、単に「1年の4番目の月」と平凡というか無機質な語釈しか示されていない《注》。これでは、さっぱりイメージがわいてこない。ところが、歴代のPODの中でも評判の高い第5版(1969年発行)をさかのぼってみると、‘A MONTH noted for alternations of sunshine & showers’(晴れたり降ったりするので知られる月)と定義されている。

    『英語イメージ辞典』(三省堂)でも、「残酷な月、気まぐれ」とされ、ふつうの日本人が4月に抱く思いとはかけ離れている。英国ではむしろ5月こそが安定した春爛漫の月とみなされているのだ。こうした細やかなニュアンスをどこまで出すか、そこに辞書の個性がある。同じ題名の辞典でも版によって記述が違うのだから、まして辞書の種類が違えば予想を超えた個性の差――語釈の違いが出てくることもある。日本語の場合も例外ではない。
    
    日本人が国語辞典を使うのは、難しい漢字の書き方や読み方、見慣れない単語の意味を調べる場合だろう。しかし、辞書を「引く」だけでなく、「読んでみる」と面白さを実感するはずだ。

    ユニークな語釈で辞書マニアだけでなく、一般にもファンの多い三省堂の『新明解国語辞典』《参考サイト》。その中でも有名なのは、「恋愛」の項目だ。改訂のたびに語釈の過激度は減り、“穏健”に変わってきているが、それでも最新版の第6版(2005年1月10日第1刷)では、

  【特定の異性に対して他の全てを犠牲にしても悔いないと思い込むような愛情をいだき、常に相手のことを思っては、二人だけでいたい、二人だけの世界を分ち合いたいと願い、それがかなえられたと言っては喜び、ちょっとでも疑念が生じれば不安になるといった状態に身を置くこと】と独創的な語釈を示している。普通の国語辞典なら「男女間の、恋いしたう愛情」(『岩波国語辞典』第6版)といった程度で済ますところだ。

    辞書の個性は、抽象的な言葉の語釈に表れやすい。例えば「右」という誰もが知っている言葉についての語義が、上記の『新明解国語辞典』と『岩波国語辞典』の二つの辞書でどう違うかみてみよう。
 【多くの人がはしや金づちやペンなどを持つ方(からだの、心臓が有る方の反対側)】=『新明解国語辞典』第3版。これが、第6版になると、

  【アナログ時計の文字盤に向かった時に一時から五時までの表示の有る側(「明」という漢字の「月」が書かれている側と一致)】と独創的な説明に変わった。
    
    では、規範意識が高く奇をてらうことのない『岩波国語辞典』では、どうかというと、 
  【相対的な位置の一つ。東を向いた時、南の方、またこの辞典を開いて読む時、偶数ページのある側を言う】と説明している。方角を利用して語義を説く前段の記述法は英語の辞書でも一般的に見られるが、後段はさりげなく工夫した独自の説明といえる。

    辞書によって、あるいは同じ辞書でも改訂版によって、それぞれに工夫が凝らされ、大きな違いがあることに今さらながら驚く。


《注》 とは言え、このような語釈が普通であり、日本の辞書も同様。『新明解国語辞典』でさえ、「1年の第4の月(雅名は、うづき)」とあるだけだ。

《参考サイト》http://www.geocities.co.jp/Bookend-Soseki/3578/

【お断り】今回は、「gooブログ」時代の2006年10月10日号で扱った内容を一部加筆補正した改訂版です。