「千年紀」、「ミレニアム」、「Y2K」

(第55号、通巻75号)
     
    前回は「源氏物語千年紀」の話題から始めて「ミレニアム」という言葉で閉めくくったが、ミレニアムで思い出すのは、「Y2K」問題である。今やまったく聞かれなくなったが、1990年代の半ば過ぎから様々な分野にわたり、世界的な規模で論じられたものだ。西暦2000年になるとコンピューターの内部で2000年が1900年と認識されてしまい、誤作動する危険性があるので、事前に対策を講じなければ大変な事態になる、ということだった《注1》。

    結果的には一部のシステムに不具合が出たものの、致命的な問題は起こらなかったのだが、当時、まだ新聞社に勤めていた私は、新聞の編集・発行に支障が出ないか、国内外で交通、通信、銀行、医療、軍事などでコンピューターの誤作動による重大事故が発生した場合のニュースの処理をどうするか、などの問題に備えて1999年の大晦日から2000年の元日未明まで会社に残り、事態の推移を見守った記憶がある。

    「Y2K」とは、Yが「年」の意の‘Year’、Kは「1000」を表す‘Kilo’のことで、コンピューター「2000年問題」の略称だ。

    もう一つのミレニアムは英語の‘millennium’からきている。ラテン語の「千」を意味する‘mille’と「年」を意味する‘annus’が語源とされる。新訳聖書の「ヨハネの黙示録」《注2》に記されている言葉で、「至福千年」とか「千年王国」と訳されている。

    千年という単位は途方もない長い期間である。キリスト教圏の人々はそんな遠い先のことまで考えていたのか、と不思議にも思うが、仏教が渡来して間もない頃の日本の人々も「千年」という時を認識していた。「Y2K」が問題になった2000年の元日に私は下記の和歌を引用し、「ミレニアムは、キリスト教の世界の言葉ですが、日本でも千年先の平安を見通した歌が残されています」と年賀状に書いた。
  「新しき年の始めにかくしこそ 千年(ちとせ)をかねて楽しきを積め」(『古今和歌集』より)

    ここまで戯言を書き連ねてきて、ふっと頭をよぎったものがあった。平安時代の人々は1000年後の世界を心配することはなかったろうが、現代に生きる我々は、1000年後の日本を、いや地球を「楽しきを積め」(楽しさを極めよう)と楽天的に言っていられるだろうか、との疑問だ。

    石油、原子力、食糧、人口問題、自然災害、環境破壊……山積するさまざまな問題の中で私がもっとも危惧するのは地球温暖化である。気候の激変に伴って極地の氷が融け出し、珊瑚島からなる国土が海中に没する危機に瀕しているツバルのような国もある《注3》。旧約聖書の「ノアの方舟(はこぶね)」は、現代文明への警鐘と受け止めなくはならない、と思い至ったのだ。


《注1》 コンピューターが一般に広まり始めた頃は、メモリーを節約するため年号を4ケタではなく下2ケタで表示するプログラムが多かった。ウェブサイト「IT用語辞典」(http://e-words.jp/w/Y2K.html)をはじめ、前回の第54号でも参考にしたウェブ「21世紀の歩き方大研究」の中の「新たなミレニアム(千年紀)を考える」(http://www.ne.jp/asahi/21st/web/millennium11.htm)や当時の新聞・雑誌なども参照。

《注2》 『新訳聖書』(文語訳)第20章の2−7。『聖書』(新共同訳)では第20章の1−6の部分に「千年間の支配」という小見出しがつけられている。

《注3》「ツバル国名誉総領事のホームページ」(http://www.embassy-avenue.jp/tuvalu/index-j.html)など。