たかが年賀状、されど年賀状。「元旦」に夜はないのだ 

(第52号、通巻72号)
    今年の年賀状の配達は、例年になく早かった。元日の朝。ふだんより遅く9時過ぎに新聞を取ろうと郵便受けボックスを開けたら、朝刊だけでなくすでに賀状の束が入っていて驚いた。二、三の友人の話でも、ずいぶん早い時間帯に届いていたという。郵政の分社化で郵便の集配達を引き継いだ事業会社が意気込みを見せたのだろう。
    しかし、年賀状を出すまでには、それなりの手間がかかる。いかにパソコン時代といっても、全部が印刷の文章では味気ない。そこで、手書きでひと言添える。相手を思い浮かべながら文を考えるのは楽しい作業でもあるが、時間的に余裕がないときは、添え書きを省き、定型の「謹賀新年」とか「明けましておめでとうございます」とかの賀詞を印刷しただけで済ますのも一法ではある。が、どちらの方法をとるにせよ、賀状ならではの言葉の使い方に注意が必要だ。
    「元日」と同じように使われることの多い「元旦」という語。1月1日その日を意味するのではなく、「元日(1月1日)の朝」を指す。白川静の名著『字通』(平凡社)によれば、「旦」という漢字の下の部分の「一」は地を表わす。日が地平線の上に昇っているわけだ。「日が雲を破って出る形である」と『字通』は説明している。重要な政治の儀式は、早朝に行われたことから、「政」を「朝」ともいう、とある。つまり、本来は「元日」と同じ意味ではないのである。この説に従えば、「元旦の夜」という表現は矛盾していることになる。
    けれども、昨今の国語辞典は「元旦」の“拡大解釈”に寛大のようだ。刊行されたばかりの『三省堂国語辞典』第6版が、第一義の「元日の朝」に続いて第二義にあえて「(あやまって)元日」と明記しているのはむしろ少数派。規範意識の高い『岩波国語辞典』第5版でさえ、「元日の朝。転じて俗に、元日」としており、他の辞書も、おおむね「元日の朝」と「元日」(または「1月1日」)と二つの語義を並べている《注1》。実際、そう厳格に使い分けているのはまれかもしれない。
    ついうっかりしがちな用法は「謹賀新年」とか「恭賀新年」とか大書した後に小さく本文で「新年明けましておめでとうございます」と続けることだ。よく考えてみれば、おなじことを言っているにすぎない。「謹賀新年」を例にとれば、「謹んで新年をお祝いします」という意味なのだから。また、「新年明けましておめでとうございます」自体もダブりの文といえる。「明ける」には「(旧年が終わって)新年になる、年が改まる」という意味があるのだから、「新年」と「明けまして」は重複表現になる。単に「新年おめでとうございます」か「明けましておめでとうございます」でよい《注2》。    
    ちなみに、手紙の書き方、といったハウツウ本には、目上の人あてに「賀春」、「賀正」、「迎春」など2文字の賀詞を使うのは簡略した表現なので避け、より丁寧な「謹賀新年」など四字熟語を使う方が適切、という注記もある《注3》。私自身はそこまで気を遣ったことはない。というより、そういう常識はつい最近まで知らなかった。たかが年賀状、されど年賀状ではある。


《注1》 近代的な国語辞典の祖ともいうべき『言海』(大槻文彦著)が「ぐわんたん『元旦』」の項に「「ぐわんにちニ同ジ」としているほどなのだから、『岩波国語辞典』のように「俗に」とするのはいいとしても、“誤用”とまで断じるのは行き過ぎ、という意見も成り立つ(なお、「ぐあんにち」は「元日」のことである)。辞書の記述としては、『岩波国語辞典』のように「俗に」とするのが現実的な配慮と思う。なお、『三省堂国語辞典』第6版は、奥付には「2008年1月10日発行」とあるが、昨年12月下旬から店頭に出ている。

《注2》 賀状のダブりといえば、「1月元日」も「1月元旦」もそうだ。元日は1年の最初の日、元旦は1年の最初の日の朝、のことなのだから、1月に決まっている。わざわざ1月と書くのは重複になる。「平成20年元日」か「平成20年元旦」とすべきだ。

《注3》 『くずし字よみかき実用辞典』(柏書房)、『完全 手紙書き方事典』(講談社)など。