続・「立ち上げる」はパソコンから生まれた新語?!

(第37号、通巻57号)
    前々回の「立ち上げる」(9月5日号)は、予想外に反響が大きかったが、意を尽くせなかった部分もある。逆に筆が滑った個所もある。その後の知見も加え「続編」として二、三補足したい。

    「立ち上がる」は昔からある言葉だ。この語に、「機械類が起動する」「機械に電源が入る」という意味が加わったのはそう古いことではあるまい。文法的に言えば、「起立する」「身を起こす」という伝統的な意味で使う場合と同じく自動詞(5段活用)である。「救援活動に立ち上がる」という用法になると、他動詞的な感じが少し加わるが、それでもあくまで自動詞であることに変わりはない。

    国語学者金田一春彦氏によれば、他動詞として使いたい時は「立ち上がらせる」というように言った、という。たとえば「母親が子供の手を取って、立ち上がらせた」というように使ったのである、と用例を示している《注1》。

    この用法から「立ち上げる」という他動詞(下一段活用)が派生したと思われる。現行の辞典の多くは「パソコンを立ち上げる」と例文にパソコンを挙げているケースが目立つが、あるいは逆に「機械類を立ち上げる」からコンピューター用語に転用されたことも考えられる。

    「立ち上げる」という語は、単純に分解してみると、自動詞の「立つ」と他動詞の「上げる」の組み合わせで出来ている。そのせいか、この言葉については「耳障りな感じがする」と不快感を持つ人もいる。金田一氏自身も《注1》の著作の中で「たかだかパソコンのスイッチを入れて動かしたぐらいで、そんな大げさな言い方をしなくても、と思ってしまう」と述べている。

    そう言われてみると、日本語としては若干こなれていない感じがしないでもない。しかし、私にとっては“耳障り”というほどではない。まことに、語感というのは人によって微妙に異なる。現代の文学家では第一級の日本語の遣い手である丸谷才一氏ら3人による“文学漫談”の新刊書の題が『文学全集を立ち上げる』(文藝春秋)というのだからもう一般化した言葉と言っていいだろう。

    前々回のブログで、「立ち上げる」という他動詞が辞書に認知されたのは、ここ10年ほどの間だろう、と私見を述べた。手元にある数種類の国語辞典に当たった限りでは『岩波国語辞典』1994年11月発行の第5版が最初だったからだ。それ以前に認知した辞書があるのかどうか、については明確でなかった。ところが、その後、貴重な資料が偶然見つかった。NHKの番組「ことばおじさんの気になることば」のホームぺージだ。

    それによると、「立ち上げる」が辞書に登場したのは昭和61年(1986)というのである。辞典の名前も出版社も示されていないので、自分で確かめることはできないのは残念だが、「ここ10年ほどの間に辞書に認知された新語」とした私見の中の時期を少々遡り、昭和から平成にかけての間に辞書に掲載されるようになった新語、と改めなくてはならない。

    もう一つ、まったく別の観点からの意見を紹介しよう。「会社(プロジェクト)を立ち上げる」の用法は英語の“launch”から来ているのではないか、というのだ。英和辞典には確かに、その用法が載っている。さらに、コンピューター用語として「プログラムを立ち上げる、起動する」の意味も記載されている《注2》。これについては論評できるような知見を持ち合わせていないが、期せずして日本語と同じ使い方をするのが面白い。


《注1》 『日本語を反省してみませんか』(金田一春彦著、角川書店)。この本で金田一氏は「辞書を引くと『立ち上げる』は、『起動のための操作をし、機械やシステムを稼働する』とある。辞書に載っているくらいだから、もう市民権を得たのだろうが、どうも耳障りである」と“一読者”の立場から述べているが、当の氏自身が編者を務めた『学研現代新国語辞典』改訂第3版(2002年4月発行)にも「立ち上げる」は載っている。

《注2》 普通は“boot (up)”を使うことが多いようだ。