「職責」とは何を意味するのか

(第36号、通巻56号)
    きょう12日昼過ぎ、衝撃的なニュースが流れた。安倍首相の辞意表明。驚いたのは、辞任すること自体ではなく辞意を表明した時期の唐突さに対してである。

    いずれ近いうちに政権を投げ出すのではないか、と思わせる伏線はあった。つい3日前の記者会見で、安倍首相はテロ特措法に基づく海上自衛隊のインド洋上での給油活動について「活動が継続できなければ内閣総辞職する覚悟か」と問われ、「あらゆるすべての力を振り絞って“職責”を果たしていかなければならない」と答えた後、「私は“職責”にしがみつくということはありません」と述べていたからだ。

    職責とは「職務上の責任」である。この意味で首相発言の前段の“職責”という使い方は正しいが、後段の用法は明らかにおかしい。間違いである。この前後の文脈からみて首相は、なにがなんでも地位にとどまるつもりはない、という意味で使っている。それなら、「総理の座にしがみつくということは……」とか、単に「総理の職にしがみつくということは……」とか発言すべきだった《注》。

    安倍首相は教育の再生を訴えてきたわりには、時々、おかしな言葉遣いをする。8月22日の当ブログで取り上げた「人心一新」にしてもそうだ。首相は、この言葉を内閣改造、つまり大臣の顔ぶれを大幅に変える、というつもりで使ったわけだが、「人心一新」は、世の中の人々の気持ち、世間の空気を新しくする、というのが本来の意味だ。

    この日の辞意表明は、国民に対する言葉もなく、首相の「職責」を途中で放棄したも同然だ。「安倍政権から“人心”が離反してしまった」ことを自覚したのかもしれない。


《注》 12日午後の辞任表明の記者会見では「職に決してしがみつくものでない」と“職責”の“責”をはずした言い方に変えていた。