「とても」は「全然」と、とてもよく似た?副詞 

(第29号、通巻49号)
    前回取り上げた二つの単語のうち、「こまぬく」については、知らなかったという人が多かったようだが、「全然」の方については、「とても」という語とよく似ているのではないか、との指摘が寄せられた。言われてみるとまさにその通り。改めて辞書にあたるまでもない明々白々のことだが、辞書大好き人間としては、辞典ではどんな風に説明しいているか興味がわいてくる。

   『大辞林』第3版(小学館)にはこうある。
1.(下に打ち消しや否定的表現を伴って)否定的な意味を強調する気持ちを表す。どのようにしても。なんとしても。「そんなひどいことはとてもできない」「とてもだめだ」
2.非常に。たいへん。「とてもすてきだ」「とても困っています」
3.どうせ。同じく。「我はとても手負うたれば、ここにて討死せんとするぞ」(太平記
(元来は1の意味でのみ用いられた。2の意味で用いるのは1に比べ新しい用法である)

    3の用法は、私自身は使ったことはないが、1と2は、ごく日常的に使われる。とくに会話では、2の「程度」を表す副詞は「とてもよく効く薬だ」「今日はとても暑い」などと多用される。

    『日本語をみがく小辞典 〈形容詞・副詞篇〉』(講談社現代新書、森田良行著)によると、この語は「とてもかくても」の略されたもので、“どちらにしても” “どのみち” “いっそのこと”という思い切りの気持ちを表していた。つまり、『大辞林』で言えば、3の語釈が原義だった。それが“どうしても”の強い意志を表すように変化し、さらに、打ち消しと呼応して「とても逃れ給ふべき御身ならず」(『源平盛衰記』)のように「到底」と同じ意味になった、という。

    森田氏はさらに続けて、「新村出(しんむらいずる)や柳田国男の説によると」と断った上で、この「とても」が信州方言では「とてもいい」と程度副詞として用いられていて、明治時代、信州に登山に出かけた学生たちがその用法を東京に持ち帰って広まった、と述べている。一人は国語学の、もう一人は民俗学碩学である。

    この語については、芥川龍之介も大正末年に興味深い随筆にまとめていることを『日本国語大辞典』(小学館)で知った。その著『澄江堂雑記』(1924年)を引用すると――
〜〜[「とても安い」とか「とても寒い」とか云ふ「とても」の東京の言葉になり出したのは数年以前のことである。勿論「とても」と云ふ言葉は東京にも全然なかった訳ではない。が、従来の用法は「とてもかなはない」とか「とても纏(まと)まらない」とか云ふやうに必ず否定を伴つてゐる。肯定に伴ふ新流行の「とても」は三河の国あたりの方言であらう。現に三河の国の人のこの「とても」を用ゐた例は元禄4年に上梓(じょうし)された「猿蓑(みの)」の中に残つてゐる。
       秋風やとても芒(すすき)はうごくはず   三河、子伊
    すると「とても」は三河の国から江戸へ移住する間に200年余りかかつた訳である。「とても」手間取つたと云ふ外はない。]〜〜

    芥川らしい文の締め方である。4年前に出版された『日本語は年速1キロで動く』(講談社現代新書、井上史雄著)という本がある。東京と三河地方の距離を約300キロとすると、年速1.3キロ〜1.5キロになる。おおざっぱに言えば、芥川説と平仄(ひょうそく)が合うわけだ。単なる偶然の一致とは「とても」思えない日本語の変化である。