散る桜 残る桜も 散る桜

(第15号、通巻35号)
    この前の日曜日、所用で東京・上野公園を通ったらまだ咲き誇っている桜があった。が、桜前線の中心はとうに関東を去って北上中だ。これからは東北地方が花見の季節になる。

    花といえば、桜か梅を指す。あるいは二つ並べて表現する。「梅と桜」。この組み合わせは、美しい物が並んでいる様子のたとえであり、「梅は咲いたか 桜はまだかいな」という俗謡は、有名な江戸端唄(はうた)の出だしの歌詞だ。なんと、この対句をタイトルにしたレゲエの新曲が今年1月下旬、女性シンガーソングライターからリリースされた。かと思えば、「桜切る馬鹿 梅切らぬ馬鹿」という古い格言もある。

    古(いにしえ)の日本で花という語は、百花にさきがけて早春に咲く梅を意味していた。『万葉集』に出てくる植物の中で、梅は、萩についで二番目に多く118首を数えるが、桜は40首《注1》に過ぎない。41首とか42首という異説もあるが、ともかく梅の方が断然多い。ところが、平安朝以降、上代の梅にかわって桜の「花」が貴族社会で愛好され始めた。鎌倉時代に入ると、「花」といえば桜を指すほど庶民にも親しまれるようになり《注2》、桜は「花」の“右総代”に昇格した。「花は桜木、人は武士」というわけだ。芭蕉にも「さまざまな事思ひ出す桜哉」という、よく引用される句がある。

    私が個人的に好きな桜の句は、今回のブログのタイトルにした「散る桜 残る桜も 散る桜」だ。若いころ、ある先輩が送別の色紙に書いてくれたのが忘れられず、時には私が同僚への送別の色紙に書くこともあった。漢籍の「年々歳々花相似たり、歳々年々人同じからず」という七言古詩《注2》の中の「花」は、桜を歌ったものではないが、しかし「毎年毎年、花は同じように咲き、散っていくが、それを見る人は年ごとに同じというわけではない」という点では、「散る桜……」の句と相通じるものを感じる。

    この「散る桜……」、誰の作なのか。昭和史を扱った本の中には、特攻隊員が出撃を前にして作った句と書いたものもあるが、これは、特攻隊員が「花と散る」《注3》覚悟を示すために遺書の一節に引用したのを誤解したのだろう。一般的には、江戸時代の良𥶡和尚の作、とされているようだ。良𥶡和尚の足跡を克明にたどった労作『良𥶡』(栗田勇著、春秋社)にその通説に触れた個所がある。

    「また伝承によると次の歌も良𥶡の辞世の歌であると言われている」と記して行を改め、
        散る桜  残る桜も 散る桜

    これが、450ページにもわたる大著の最後の一行だ。さりげない筆致だが、印象に残る結びである。


《注1》『花の園芸大百科』(主婦と生活社

《注2》文春文庫『漢字読み書きばなし』、同『漢詩名句 はなしの話』(共に駒田信二・著)

《注3》『大辞林』第3版(三省堂)の「花と散る」の項には〈満開の桜の花がすぐ散るように、潔く死ぬ。特に、戦場で死ぬことをいう〉とある。