目の前の選手に「ゲキを飛ばす」とは            

(第12号、通巻32号)
    選抜高校野球プロ野球、サッカー……。春、スポーツの季節が幕開けすると、新聞のスポーツ面も躍動する。同時に、紙面にはある定型句の登場が多くなる。「激(ゲキ)を飛ばす」という表現だ。監督や指導者が選手・部下などに活を入れたり、奮起を促したりする場面を描写するのにしばしば使われる。

    しかし、この用法は本来からいうと間違っている。「激」という漢字を使うのは、「激励する」に引きずられたせいだろうが《注1》、正しくは木偏の「檄」の方である《注2》。自分の主張や考えを強い調子の言葉で書いた文章のことで、「檄文」《注3》ともいう。

    では、「檄を飛ばす」とはどういう場合を指すのか。、『大辞林』(三省堂)の語釈を借りれば、賛同や決起を呼びかける文書を方々に急いで出すことをいう。だから、例えば、野球の監督がグラウンドの選手を集め、その面前で「気合いを入れてがんばれ」「しっかりプレーしろ」などと鼓舞することを「ゲキを飛ばす」というのは間違いである。

    『新明解国語辞典』(三省堂)は、「檄を書いて、決起を促したりする」と説明し、続いて「俗に激励の意で用いるのは全くの誤り」と言い切っている。まことに明快だ。また、『大辞林』でも、「現代では〈激を飛ばす〉などと書き、激励したり、発奮させたりする意に用いられるが、本来は誤り」と注釈をつけている。

    そんな中で『広辞苑』(岩波書店)が「「檄を飛ばす」の語釈として「考えや主張を広く人々に知らせて同意を求める。また、元気のない者に刺激を与えて活気づける」としているのは解せない。言葉は変化していくものではあるが、その過程では無批判に現状を追認して掲載するのではなく、《誤用》とか《俗》とかの注釈をつけるのが“国民的国語辞典”の務めではあるまいか。

    日本語の意味を知るには、和英辞典も時に思わぬ効用がある。『スーパー・アンカー和英辞典』(学習研究社)の「檄」の項には、“a written appeal”(文書による訴え)とあり、また『カレッジライトハウス和英辞典』(研究社)では、「檄を飛ばす」の意の英語として“issue a written appeal”を挙げている。本来の意味が、国語辞典よりもよく分かる文例であり、ゲーテの「外国語知らざる者は自国語をも知らず」という警句を思い出した。 


《注1》 「檄」の字が、常用漢字でないため、「激」で代用したとも考えられる。

《注2》 『ベネッセ表現読解国語辞典』には、昔、中国で人を呼び集めるために文書を木の札に書いた、という由来が説明されている。

《注3》 J.Cヘボンが編んだ我が国初の和英辞典『和英語林集成』(講談社学術文庫)の「檄文」の項には、昨今はやりの“A manifesto”の訳語が充てられている。