「疲れた」道産子は「こわい」と言う

(第5号、通巻25号)                                     
  前回のブログで「手袋をはく」の「はく」の使い方は北海道弁だ、と書いたが、「その用法は辞書の『新明解』にも載っている。方言とはいえないのではないか」との指摘があった。まさか、と思いつつ『新明解国語辞典』第5版(三省堂)の「はく」の項を開いてみたところ、2番目の語義に「下半身や手首から先を保護する物を身につける」と出ていた。用例として添えられているのは「ズボンを穿く」だけだが、「手首から先……」という語釈は確かに「手袋」にあてはまるのかもしれない。

  しかし、『広辞苑』第5版(岩波書店)、『大辞林』第3版(三省堂)などの中型辞典にも『明鏡国語辞典』(大修館)など数種類の小型辞典にも「手首から先……」という説明は見当たらない。“共通語”化の兆しはあるものの、一般的にはまだ“標準語”とは認知されていないようだ。

  ちなみに、英語では、服を着る、靴を履く、手袋をはめる、さらには、メガネをかける、帽子をかぶる、という動作もすべて“put on”という一つの動詞句ですむ。ただし、身に付けている、という状態を表すには、『ロングマン英和辞典』(桐原書店)によると、“wear”を用いる。

  道産子が方言とは自覚しないで使っている言葉。「ゴミを投げる」「手袋をはく」に次いで多いのは、「疲れた」という意味の「こわい」だろう。急な山道を登って「あー、こわい」と言えば、「(道が険しくて)怖い」とも受け取れるが、北海道弁では「疲れた」という意味になる。道産子が東京や横浜あたりで、例えば病院に行って「なんだか、こわくて目がくらくらする、と医者に言ったら、私のどこが恐ろしいのですか、と先生に“こわい”顔で逆に問い返された」なぞという笑い話もある。もっとも、この「疲れた」という用法も、前述の『新明解』には「北関東以北の方言」との但し書き付きで「疲れた状態」と収録されている。

  「ガス安打」。これは、これまで挙げた三つの“北海道共通語的”な方言とは違い、釧路を中心とした釧根地方の合成北海道弁というべきかもしれない。

  北海道の海岸地帯では、霧のことを「ガス」という。瓦斯、ではなく「海霧(かいむ)」と書く。特に、道東沖で黒潮(暖流)と親潮(寒流)がぶつかりあって生じる霧は水滴が大きくて密度が濃い。この濃霧が海から陸に流れ込んでくると、街中が見る間に乳白色に包まれ、霧の海になる。街路灯がボンヤリかすんでロマンティックな雰囲気を醸し出す。

  ところが、このガス、視界不良で交通事故の原因になったり、思わぬいたずらを引き起こしたりすることもある。
  夏の高校野球の試合中、濃いガスが球場に押し寄せると視界がさえぎられてしまう。そんな時、打球が内野の後方にフラフラと高く上がるとガスの中に吸い込まれてしまい、ボールを見失った野手は捕球し損なう。凡フライでも野手の失策とするわけにもいかず、記録上は安打となる。これが「ガス安打」だ。私が釧路の高校生だったころは、新聞のスポーツ面で時々目にした言葉だ。今も使われているのどうか確認はしていないが、カイム(皆無)ではあるまい。