「元旦」の夜はあり得ない

(第259号、通巻279号)
 
    年賀状の賀詞、本文の末尾には、平成24年元日か平成24年元旦、と添えるのが普通だ。元と元。ほとんどの人はその違いを意識せず、単に1月1日の伝統的な言い換えのつもりで書いているに違いない。実際上はそれで差しつかえない。しかし、漢和辞典や幾つかの手紙書き方事典の類によると、厳密には意味が違うという。
   
    「元日」は、1年の最初の日、すなわち1月1日の意だが、「」という語は、1月1日その日を意味するのではなく、「元日(1月1日)の朝」を指す。だから、元旦の朝、という表現は馬から落ちて落馬するという類(たぐい)の重言になる。

    白川静の名著『字通』(平凡社)によれば、「旦」という漢字の下の部分の「一」は地を表わす。日が地平線の上に昇っているわけだ。「日が雲を破って出る形である」と『字通』は説明する。中国ではその昔、重要な政治の儀式は早朝に行われたことから「政」を「朝」ともいう、とある。つまり、本来は「元日」と同じ意味ではないのである。この説に従えば、「元旦の夜」という表現は矛盾していることになる。
    
    けれども、昨今の国語辞典は「元旦」の“拡大解釈”に寛大のようだ。新語をいち早く収録することで知られる『三省堂国語辞典』第6版が、第一義の「元日の朝」に続いて第二義にあえて「(あやまって)元日」と明記しているのはむしろ少数派。規範意識の高い『岩波国語辞典』第7版でさえ、「元日の朝。転じて俗に、元日」としており、他の辞書も、おおむね「元日の朝」と「元日」(または「1月1日」)と二つの語義を並べている。実際、そう厳格に使い分けているのはまれかもしれない。

    近代的な国語辞典の祖ともいうべき『言海』(大槻文彦著)が「ぐわんたん『元旦』」の項に「ぐわんにちニ同ジ」としているほどなのだから、『岩波国語辞典』のように「俗に」とするのはいいとしても、“誤用”とまで断じるのは行き過ぎ、という意見も成り立つ(なお、「ぐあんにち」は「元日」のことである)。一般的な辞書の記述としては、「俗に」とするのが国語辞典として現実的な注釈と思う。
    
    ただし、「1月元日」や「1月元旦」という表記はダブりになる。元日は1年の最初の日、元旦は1年の最初の日の朝、のことなのだから、1月に決まっている。わざわざ1月と書く必要はない。「平成24年元日」か「平成24年元旦」とすべきだ。

    ちなみに、手紙の書き方、といったハウツウ本には、目上の人あてに「賀春」、「賀正」、「迎春」など2文字の賀詞を使うのは簡略した表現なので避け、より丁寧な「謹賀新年」など四字熟語を使う方が適切、という注意もある。私自身はそこまで気を遣ったことはない。というより、そういう常識はつい最近まで知らなかった。たかが年賀状、されど年賀状ではある。