「ストレステスト」とは何ぞや

(第235号、通巻255号)
    このところ、原子力発電所の再稼働にからんで「ストレステスト」なる言葉がマスコミにしばしば登場する。7月6日に菅首相衆院予算委員会で、九州電力玄海原発を始めとする原発再稼働について「ストレステストを含めたルールでチェックする」と唐突に述べたのがきっかけだった。いくつかの業界では以前から用いられているようだが、多くの人々にとっては、ストレステストという言葉は首相発言が初耳だったのではあるまいか。
    国語辞典の類には載っていないが、おおよその意味の見当はつく。ネライは負荷を重くして運転がうまくいくかどうかを調べようという点にあるに違いない。元来は、コンピューターシステムや金融システムに過剰な負荷をかけて安全性を確認する手法に使われてきた用語だ。
    たとえば、コンピューターに通常より重い負荷量(データ量多くする、同時に複数のデータ処理をさせる、処理時間を区切る)をかけて脆弱性が現れることなく安定的に作動するか、バグはないか、長時間の連続使用に耐えられるか、など様々な角度から調べる。
    あるいは、経済や金融についての例をウェブのフリー百科事典『ウィキペディア』から引いて紹介すれば、銀行や国家の経営内容が健全かどうか調べるために「経済成長率がマイナス5パーセント以下」「通貨相場が10パーセント上昇」「国債価格が30パーセント下落」など極端な仮定(ストレス)を設定してその結果を判断する、というものだ。
    マラソン選手の高地トレーニングなどスポーツの練習法や教育の分野でよく見られる。卑近な例でいうと、私は心臓が弱いので心電図をとられることがたまにある。診察用の小さなベッドに横になって検査されるのがふつうだが、まれに3段式の踏み台を何回となくあがったり、おりたりして繰り返し、心電図の変化を調べられたりすることがある。心臓に過重な負荷をかけのだ。これなどもストレステストといえるだろう。
    カタカナ語であっても言葉の意味は多様に広がり、変化する。そのせいか、ストレステストの日本語訳はまだ一定していないようだ。「耐性検査」「安全テスト」「耐性評価」「健全性検査」「負荷テスト」など新聞や文献によって微妙に違う。定訳がどうなろうとも、菅首相与野党あげての批判や世論調査の支持率急減にもめげず、ストレステストをものともしていないようだ。