「極月」と「月極」駐車場

(第102号、通巻122号)
    師走。12月も半ばを過ぎると気ぜわしくなる。本と書類で乱雑になった部屋の片付け、デジカメ写真や原稿の整理、そして年賀状書き……。12月の異称として、経をあげるため師僧が東西を馳(は)せるほど忙しくなることから「師馳(シハセ)」→「師走(しわす)」と書くようになった説《注1》が広く流布されているのも、心情的に理解しやすいからだろう。
    12月を「極月(ごくげつ)」とする言い方もある。年の極まる月、つまり四季の果てる月であるとこから「四極(シハツ)」ともいった《注2》という。それが転じて「極月」という異称が生まれたと思われる。「極」という漢字は、様々な読み方がある。‘音’では「キョク」と「ゴク」。‘訓’になると、「きわめる」「きわまる」「きわみ」のほかに、あまり知られていないが「きめる」「きまる」「きまり」の読み方がある《注3》。
    「きめる」系の読み方は江戸時代から行われていたともいわれるが、私が確認したところでは、遅くても明治時代の小説には数多く見受けられる。二葉亭四迷の『浮雲』に「何時(いつ)身を極(き)める考えもないとて」とあるのはその一例。夏目漱石の作品には頻繁に登場する。例えば――『それから』では「代助は此前(このまえ)父に逢った時以後、もう宅(うち)からは補助を受けられないものと覚悟を極(き)めてゐた」、『道草』では「せめて日限でも一つ御取極(おとりきめ)願いたいと思ひます」、あるいは『こころ』で「事を運ばなくてはならないと覚悟を極(き)めました」といった具合だ。
    常用漢字表を基準にしている現代では「きめる」は、「決める」と表記するのが一般的であり、「極める」とはまず書かない。数少ない例外が「月極駐車場」である。ちょっと街を歩けば「月極駐車場」と書かれた看板をよく見かける。「げっきょくグループ」という全国的な会社が経営・管理している駐車場、という都市伝説もあると聞くが、もちろん読み方は「つきぎめ」という。たいていの辞書も「月決め」の見出しは立てず、「月極(め)」の表記だけを載せている。そんな中で『三省堂国語辞典』は「月決め」と「月極め」の両方の表記を出しているが、意味はどちらも変わりなく「一か月間ずつの約束で決めること」である。
    個人的な語感で言えば、「決める」は「決定する」ことに重点があり、「極める」は「約束する」方に力点があるように思われる。現在でも、外交文書では条約や国際的な約束事は「取り極(め)」という表記が多いのはその表れに違いない。
    ともあれ、「個人的」という言葉に「師走」を掛けていえば、これから年末までは「しわす」を「私走」と書きたい気持ちがする。


《注1》、《注2》 『日本語源大辞典』(小学館)による。
《注3》 『新潮日本語漢字辞典』。