「湯を沸かす」は「重言」か

(第81号、通巻101号)
    「いちばん最初」などの「重言」を扱った前回のブログも予想外に反響が大きく、1週間当たりのアクセス数が2週続けて2000を超えた。メールなどで重言の具体例もいくつか寄せられた。そのうちの一部を紹介して「重言」(じゅうげんorじゅうごん)編の幕としたい。
    日常の会話でよく使われる言葉としては「湯を沸かす」が挙げられる。「沸かす」は、辞書にあたるまでもないが、念のため『新明解国語辞典』(三省堂)の語釈を借りると「水を熱して湯にする(煮え立たせる)」、つまり、加熱する、の意であるから、「湯を沸かす」は重言になり、間違った用法である。「水を沸かす」なら理屈に合う、という意見だ。
    あるいは、「ご飯を炊く」という言い方。ご飯、という以上もう出来あがっているのだから今さら炊く必要はない。炊く前の状態は米なのだから、正しくは「米を炊く」とすべき、という理屈だ。まったく同じではないが、「穴を掘る」(土を掘る)、「朝が明ける」(夜が明ける)も似た用法と言える。    
    上に挙げた例は、現象の変化に注目するのか、変化の結果に注目するのか、の違いとも考えられる。「水を沸かす」は現象の変化、「湯を沸かす」は変化の結果、に重きを置いた言い方というわけだ。『日本語百科大事典』(大修館書店)によれば、この文の「水」は「対象目的語」、「湯」は「結果目的語」というのだそうだ。文法的にはともかく、いずれもごく普通の言葉で、違和感を覚える人はまずいないだろうが、言葉遊びの材料としては面白い。
    しかし、字面がダブっていると、個人的には「重言」の感が否めない。たとえば、「犯罪を犯す」、「選挙戦を戦う」、「遺産を遺(のこ)す」などだ。
    駆け出しの頃、「被害を受ける」という表現は重複しているから「被害をこうむる」と使うべきだ、と教えられたが、これには抵抗があった。「こうむる」と言い換えても、漢字にすれば「蒙る」あるいは「被る」となり、やはりダブりに変わりないからだ。先輩の教えは、重言を形式的に避けたつもりで逃げ切れなかった感じがする。ただ、「過半数を超える」《注》はつい使ってしまう。言葉は理屈通りにはいかないものだ。


《注》 『NHKことばのハンドブック』には、「重複表現になるので、一般的には『過半数を獲得する』『過半数を占める』などと言う」としながらも、「選挙の際など、『半数より1だけ多い数』を超えるかどうかが関心の的になっている場合は、『過半数を超える』または『過半数を割る』を使ってもよい、と柔軟な対応を示している。