「いちばん最初」などという「重言」の二面性

(第80号、通巻100号)
    前回取り上げた「真逆」の「真」は、強調の意に用いられる接頭語だと解釈できるが、「重言(じゅうげんorじゅうごん)」とされる言葉の中にも強調するためにあえて使われるケースがある。「いちばん最初に」、「今の現状」、「まだ時期尚早」などはその典型だろう。
    話し言葉では、強調のつもりはなくてもつい重複表現を口にする例も多い。「過信しすぎると」、「いちばんベスト(orよりベターに)」、「炎天下のもとで」、「あとで後悔する」などは使った覚えがある人も少なくないのではあるまいか。あるいは、「挙式を挙げる」と言う例も時に耳にする。書き言葉にするとダブりに気づくが、話している時にはうっかり使ってしまう。私自身、口にしていたように思う。
    もちろん、自分で意識して用いないようにしている「ダブり要注意語」はある。例えば、「古来から(or従来から)」とか「成功裏のうちに」、「各家庭ごとに」、「みぞれまじりの雨」《注》とかの類は自分では使わない。だから他人が書いたり、口にしたりすると気になってしようがなくなる。
    重言といえば、よく引用されるのが「馬から落ちて落馬」だ。俗に伝えられている“全文”を話のタネに紹介すると――
  「いにしえの昔の武士の侍が山の中なる山中で、馬から落ちて落馬して、女の婦人に笑われて赤い顔して赤面し、家へ帰って帰宅して仏の前の仏前で短い刀の短刀で腹を切って切腹し、死んであの世に行っちゃった」
    これは、かなり面白おかしく誇張されているが、実際によく使われる言葉で重複表現とは気づきにくい代表的な例としては「射程距離」、「辞意の意向」、「お体、ご自愛下さい」などがあげられる。
    「射程距離」の「程」は、『朝日新聞の用語の手引』によれば「距離」の意だから、「射程」だけで「弾丸の届く距離」になる。また、そこから派生して「勢力や能力などの及ぶ範囲」の語義が生まれた。『三省堂国語辞典』第6版では「上位入賞も射程内に入った」の例文を示している。
    また、「辞意」はそれ自体で「辞職または辞退する意向」を意味している。「辞意を表明する」というのはまったく問題ないが、「辞任の意向」と「意向」を加えれば、馬から落ちて落馬、と同じく重言になる。
    「自愛」は「自分の体を大切にすること」(『明鏡国語辞典』)なので、手紙の末尾に「時節柄、お体ご自愛ください」とするのは「赤い顔して赤面」することになる。
    重言にはしかし、その場での話の流れ、言葉の勢い、語調、慣例もある。たとえば、「歌を歌う」とか「期待して待つ」などは、字面から見れば明らかなダブりだ。しかし、後者はともかく、前者の例はすでに市民権を得ていると思う。重言だからといって全てを一刀両断にはできない。線引きは、時代とともに変わるにしても重言には二面性があるのである。
    今月14日に他界された国語学者大野晋さんは、私がもっとも敬愛する日本語の専門家だった。大野さんの編著書は『岩波古語辞典』をはじめ『日本語の年輪』などのエッセイを含め十数冊持っているが、読むたびに、その学識は言うまでもないが、行間ににじみ出るお人柄とこれはと言うと時の断固とした意見の書き方には教えられることが多かった。謦咳(けいがい)に接したわけではないが、先生の啓蒙書を通して得た学恩に深く感謝し、ご冥福をお祈りする。


《注》 『日本国語大辞典』(小学館)には、「溶けけた雪と雨がまざって降るもの」とある。つまり、「みぞれ」自体に「雨」の意が含まれているので、厳密にはダブりとなるが、個人的には許容範囲に含めてよいと思う。

【報告】 前回の「真逆」は予想もしていなかったほど多くのアクセスがあり、1週間のpv(ページビュー)が久しぶりに2000を超えました。最近は、「愛読者」の皆様から寄せられるEメール、コメントのほか身近な人たちとの会話から得たテーマやヒントを参考にさせていただいたブログも少なくありません。これからもどうぞよろしくお願いいたします。