華厳の滝投身自殺と「ホレーショの哲学」(改訂版)

(第20号、通巻40号)
    きのう5月22日は藤村操の命日である。美文調の哲学的な遺書を残して日光の華厳の滝に投身自殺した旧制一高の学生と言えば、どこかで聞いたことがあると思い出す人も多いに違いない。104年前の明治36年(1903)のことだ《注1に夏目漱石との関わり》。

    「巌頭乃感」と題した遺書《注2に全文》は、滝のかたわらのナラの大木の幹に書かれていた。「人生、曰く不可解」という文言で知られているが、文中に「ホレーショの哲学、ついに何等のオソリティーに価するものぞ」という一節がある。旧制一高の超エリートには及びもつかない凡才ながら、昭和30年代後半に釧路の片田舎の高校生だった私は、青春時代特有のリリシズムからか、この「巌頭乃感」の全文を諳んじていた。だが、「ホレーショの哲学」が長い間分からなかった。

    ホレーショという名の哲学者ないしは学派が実在するのか。なにか参考文献はないものか。ホレーショが、実在した哲学者ではなく、シェークスピアの『ハムレット』の脇役的な登場人物と知ったのは、中年になってからである。

    疑問はしかし、完全には氷解しなかった。『ハムレット』を通読しなおしてみても、ホレーショがどんな哲学――それも読者の一人を厭世自殺させるような人生観――の持ち主なのかさっぱりつかめなかったからだ。該当の原文は、主人公の王子・ハムレットが親友でもある臣下のホレーショに対し
    "There are more things in heaven and earth, Horatio. Than are dreamt of in your philosophy"
と語る個所だ(第1幕、第5場)。

    字句通りに訳せば、「ホレーショよ。天と地の間には君の哲学で夢想されるよりはるかに多くのものがあるのだ」となる。つまり"your philosophy"を「君の哲学」=「ホレーショの哲学」と読んでもおかしくないように思える。ところが、これが誤訳というのだから翻訳は一筋縄ではいかない。"your"という語を単純に二人称の所有格「君の」と解釈しては間違いなのだという。
(次回に続く)


 【お断り】 今回のブログは、「gooブログ」時代の2006年07月27日に取り上げた題材を加筆補正した新バージョンです。

 《注1》 哲学青年が思想上の悩みを書き残して自殺したことは、当時、世間に大きな衝撃を与えた。自殺の原因については失恋という見方もあるが、華厳の滝に投身自殺する若者が続出して社会問題化し、当局が報道規制する一幕もあったといわれる。
   また、この"事件"は、夏目漱石が後年うつ病を患う一因になったという説もある。一高で藤村操のクラスの英語の授業を担当していた漱石が、宿題を二度もして来なかった藤村を厳しく叱ったことがあり、自殺の報に漱石もかなり狼狽したというのだ。その真偽はともかく、漱石が処女作「吾輩は猫である」の中で「可哀想に、打ちやつて置くと巌頭の吟でも書いて華厳瀧から飛び込むかもしれない」と藤村の投身自殺を取り上げているのは事実である。
 《注2》   巌頭乃感
     悠々たる哉天襄、遼々たる哉古今、
     五尺の小躯を以て此大をはからむとす。
     ホレーショの哲学
     竟(つい)に何等のオーソリチィーに価するものぞ、
     万有の真相は唯一言にして悉(つく)す、曰く「不可解」。
     我この恨を懐いて煩悶終に死を決するに至る。
     既に巌頭に立つに及んで、胸中何等の不安あるなし、
     始めて知る、大いなる悲観は大いなる楽観に一致するを。