「芋辞書」とは――辞典の個性は編纂者の個性

(第71号、通巻91号)
    「芋(いも)」という言葉から連想するのは? 男爵いもやサツマイモを思い浮かべる人もいれば、肉じゃが、ポテトサラダ、ジャーマンポテトなどジャガイモ料理を頭に浮かべる人もいよう。しかし、このような直接的な連想を別とすれば、野暮ったい、あかぬけない、といったマイナス・イメージを持つ人が多いのではあるまいか。

    「(多く他の語に付いて)都会風に洗練されないものをあざけっていう語」。『明鏡国語辞典』(大修館書店)が、第二義として説明している内容だ。用例に「芋侍」をあげている。『広辞苑』第6版(DVD-ROM版、岩波書店)も「俗に、野暮ったい人や物をいう」という意味を示している。

    この語義を拡大して極端に表現したのが、個性的な語釈でなにかと話題の多い『新明解国語辞典』(三省堂)の編集主幹を務めた山田忠雄である。

    同辞典の初版(1972年1月24日発行)に「新たなるものを目ざして」と題して書いた「序」は、三省堂のホームページ《注1》から引用すると、「先行書数冊を机上にひろげ、適宜に取捨選択して一書を成すは、いわゆるパッチワークの最たるもの、所詮(しょせん)芋辞書の域を出ない」という過激な筆致。自分の作った辞書以外はみな「芋辞書」と言わんばかりだ。

    ちなみに、『新明解』自身は「芋」の語釈を、初版と2版では「(芋を主食とするほど貧乏な意)程度が低くて、論じるには足りない」とし、用例に「芋辞書」を挙げて「大学院の学生に下請けさせ、先行書の切り貼りででっち上げた、ちゃちな辞書」とまで書いている《注2》。穏健で公正、中立的な辞典のイメージからはあまりにもかけ離れた衝撃的な記述である。

    しかし、5版になると、「芋」の第二義は「かっこうが余りよくない人をあざけって言う言葉」と変わった(5版の編集作業中に主幹が亡くなったが、「芋辞書」の用例は3版から消えている)。変えるにしても、なぜこれほどまで極端に“軟化”したのか不思議だが、5版の編集委員会代表の柴田武はその「序」で、「本辞典の個性は、主幹・山田忠雄の資質から生まれたものである」と述べている。

    辞書に編纂(へんさん)者の個性が強く表れているのは英国の辞書の方がはるかに先輩だ。次回は英語辞典の有名なエピソードも交え、引き続き辞書の個性を取り上げたい。


《注1》 URLは、http://www.sanseido-publ.co.jp/publ/dicts/shinmeikoku_5han.html

《注2》 『新解さんの読み方』(角川文庫、夏石鈴子著)

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