『広辞苑』の「来し方行く末」(その2) 

(第44号、通巻64号)
    「来し方行く末」の読みが「こしかた」と「きしかた」でどう意味が違うのか。仮に同じだとしたら、どちらの読みが正統、あるいは一般的なのか。こうした疑問については、『広辞苑』以外の国語辞書も実は明確に説明しておらず、扱い方は大同小異だ。私の座右の辞書の一つ『明鏡国語辞典』(大修館書店)にしても、「きしかた」の項に「“き”は動詞“く”の連用形、“し”は過去の助動詞“き”の連体形」と、語の構成要素の説明を添えてはいるが、意味の差異についても用法の違いについても言及していない。

    『広辞苑』と同じ規模の中型辞典で昨年秋改訂されたばかりの『大辞林』第3版(三省堂)では、「1)通ってきた所・方向、2)過ごしてきた時間・過去」と他の辞書と同様の語義を示した後、さらに一歩踏み込んで次のように記述している。

     [ 平安時代中期までは、1)の意味は「こしかた」、2)は「きしかた」と区別されていたが、平安末期から乱れた ]《注1》

    言い換えると、「こしかた」が「空間的」な意味、「きしかた」は「時間的」な意味、と元々は使い方がかなりはっきり分けられていたのである。しかし、『大辞林』でも現代の読みと語義の関係については触れていない。その違いがもうなくなったというのであれば、どう読めばいいのか、国語辞典は指針を示すべきだと思う。

    現行の『広辞苑』第5版の編集方針には「現代語はもとより、古代・中世・近世にわたってわが国の古典にあらわれる古語を広く収集し、その重要なものを網羅した」とある。出版元の岩波書店のホームページでは、
「『広辞苑』が刊行されてから50年余が経ちました。1969年第2版、76年第2版補訂版、83年第3版、91年第四版、98年第5版と改訂を重ねてまいりました」「今日では1100万人の読者を持つ国民的辞書に育ち、日本語の規範として、ゆるぎない信頼をいただいております」と“来し方”を振り返りながら自賛している。

    同時に、第6版用の宣伝パンフレットでは、「第5版収録の全23万項目を徹底的に再検討」「一般語については、新しい意味や用法の広がりを的確に捉えることに重点をおいた」と意気込みを述べている。その一例として「王道」を挙げ、第5版までは載せていなかった「もっとも正統な道・方法」の語義を例文付きで紹介している。これは、偶然にも私がこのブログの10月24日号で取り上げた「古典研究の王道を行く」という用法そのものだ《注2》。

    もちろん、辞書は、古くからある語の新しい用法を説明するばかりでなく、新語が一般に定着したかどうか判断することも重要な役割の一つである。ただ、新語をいくつ収録したか、その数を誇るのは王道ではあるまい。

    私個人としては、新語収録よりもむしろ「23万語の徹底的な再検討」の方に期待する。「来し方行く末」はその一例に過ぎない。見直しの編集作業を通じて「国民的辞書」を自負するにふさわしい「日本語の規範」を示す。それこそが辞書作りの「王道」だろう。


《注1》 『角川必携古語辞典』、『全訳古語例解辞典』第2版(小学館)、『岩波古語辞典』補訂版など参照。

《注2》10月24日号ブログの要約――たいていの国語辞書には「王道」の意味としては「1.古代の帝王が行った公正で平等な政道」「2.手軽な近道」の二つしか載っていないが、最近になって「3.物事が進んで行くべき正当な道」という3番目の語義を取り込んだ辞書も出てきた。