「母」は昔々、「パパ」だった 

(第18号、通巻38号)
    5月の第二日曜日は「母の日」。今年の場合は13日だが、実は「母の日」が生まれるきっかけになったのは、102年前のきょう5月9日である《注1》。この記念すべき日にちなんで、今回のブログの話題は「母」という言葉について。

    タイトルの「母は昔々、パパだった」は、ジョークでもなく、誇張でもない。日本語の専門家や言葉に関心の深い人たちにとっては半ば常識になっていることだ。正確に表現すると、「“ハハ”という言葉は、昔々の日本語では“パパ” と発音されていた」となる。

    ハ行の子音は、言うまでもなく“h”である。しかし、古代の日本語には、「ハ、ヒ、フ、ヘ、ホ」の“h”音はなかった。現在のハ行にあたる語は、“p”音の「パ、ピ、プ、ペ、ポ」と発音されていた。

    この説を学問的に論証して発表したのは、明治時代の言語学の第一人者・上田萬年だった。その歴史的な論文「P音考」を私は読んでいないが、上田の弟子の国語学者橋本進吉博士の名著『古代国語の音韻に就いて』(岩波文庫)や関連の本《注2》が何冊か手元にあるので、それらを参考に私見もまじえてハ行の音韻の謎を追うと――

    ハ行をローマ字(ヘボン式)で書くと、“ha,hi,fu,he,ho”となる。「フ」だけが子音は“f”だ。今度は発音してみる。「ハ」「ヒ」「ヘ」「ホ」の4音は、唇が開いたままで発音できるが、「フ」は上下の唇が軽く触れるはずだ。これは、かつてハ行が「唇音」の「ファ、フィ、フェ、フェ、フォ」と発音されていた頃の名残とみられる。

    この唇音について橋本博士は前記の『古代国語の音韻に就いて』の中で、「室町時代の末に西洋人がハ行音をfa,fi,fu,fe,foと書いているのでもわかります」と記している。『日本語百科大事典』(大修館)の音韻・音声の章には、室町時代のこんな謎々が紹介されている。

      母ニハ二度アフテ父ニハ一度モアハズ                     
     (母には二度会うが、父には一度も会わない)

    その心は「唇」。つまり、「母」はファファと唇を二回合わせて発音するが、「父」という語は唇を一度も合わせないでチチと言えるからだ。

    橋本博士はさらに前記の本で、「しかし、ずっと古い時代には、ハ行音はむしろ『パ、ピ、プ、ペ、ポ』であったろうと思われる」と述べている。言い換えると、ハ行音はp→f→hと変化してきた。「母は昔々、パパだった」という所以(ゆえん)だ。

    この続きは次回のブログで。


 《注1》  ホームページ「語源由来辞典」(http://gogen-allguide.com/ha/hahanohi.html)や「はてなダイアリー」など参照。

 《注2》  『日本語百科大事典』(大修館)、角川文庫『日本語について』(大野晋著)、岩波新書『日本語の歴史』(山口仲美著)、講談社現代新書『ことばの未来学』(城生佰太郎著)、AERAムックスペシャル『21世紀を読む。(99人の知恵)』(朝日新聞社)ほか。