ハードルが低くなった「敷居が高い」の用法

(第116号、通巻136号)
    
    「漱石の孫」で有名な漫画家にしてコラムニストの夏目房之介氏の『孫が読む漱石』が今月初め、新潮文庫版に装いをかえて刊行された。この文庫本に触発されて漱石の作品のいくつかを久しぶりに読み返していたところ『こヽろ』の中にこんな一節があった。「(私は論文を)書き上げるまで、先生の敷居をまたがなかった」。
    
    「敷居」とは、『新明解国語辞典』第6版(三省堂)によると「引き戸・障子などを開けたてするために作られた溝の有る横木のうち下方のもの」を指す《注1》。「敷居をまたぐ」は「その家に入る」ことだが、今どきほとんど目にしなくなった表現だ。しかし、‘敷居が高い’という言い方は時々耳にする。「あのレストランは、われわれには‘敷居が高くて’行けないよ」とか、「県大会でベスト4なんて‘敷居が高過ぎて’とても無理」とかといったように使われる。
    
     前者の例では「われわれには分不相応。近寄りがたい」、「手が届かない高嶺の花」という意味で用いられ、後者の例だと「ハードルが高い」、「難しい」という意味合いで使われている。が、いずれも本来の意味からはかけ離れた用法だ。
    
    「敷居が高い」というのは、「不義理や面目のないことをしているので、その家の敷居をまたげない、訪問しにくい」が本来の意味である《注2》。「借金したまま礼もせず、返済も終わっていない叔父の家は敷居が高い」、「先生にはすっかりご無沙汰しているので、つい敷居が高くなった」などと用いられる。ほとんどの国語辞書も、この意味だけしか載せていない。
     ところが、現実の言葉の世界では昨今、「手が届かない。ハードルが高い」という意味での使われ方がはるかに多い。その上、ハードルを低くする、という代わりに「敷居を下げる」という表現まで出てきている。こうなると、単に誤用といってはいられない。
    
    新しい語法に敏感な『三省堂国語辞典』第6版は、「(あやまって)高級な店などに気軽にはいれない」の意を「敷居が高い」の第2の語義として認知している。また、『研究社新和英大辞典』第5版も、「難民にとって日本は敷居が高い国だ。“For refugees, Japan is a hard country to enter”」という文例を載せている。こうした動きから見ると、「手が届かない。ハードルが高い」という新用法は、もはや市民権を得たといってもいいのではあるまいか。
    
     当ブログでもこれまで「君子豹変」、「姑息」、「憮然」などに見られる‘誤用’をいくつか扱ってきた。言葉というのは、日本語に限らず誤用や意味の一般化・拡大解釈などからさまざまな派生的な意味が生じ、その転義《注3》が定着することが多い。言葉の世界は理屈では律しきれない面があるのだ。
    
    自分自身、数々の誤用を重ねてきた。今になってようやく気づく誤用もある。ただ、私個人としては、誤用が正用を凌駕(りょうが)している現実をケースバイケースで受け入れるにしても、出来るだけ本義の正用を踏まえておくよう心がけていきたい、と思う。次回は、そんな言葉のいくつかをまた取り上げるつもりだ。


《注1》 ちなみに、横木のうち上方にあるのは「鴨居」という。
《注2》 『明鏡ことわざ成句使い方辞典』(大修館書店)による。 
《注3》 語の本来の意味(原義、本義)から転じた意味。